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世界屈指のテキトー人DENKEYが、古自転車にまたがり釣り竿を振り回しながら、どちらかというとドーでもイイことを綴る日記帳。
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とにかく、無酸素運動にならないよう「100メートル走って3分休む走法」で進み、うちをスタートしてから3時間でようやく頂上に到着した。


 すぐそこに朝里トンネルが口を開けている。こっちは小樽、むこうは札幌だ。道路脇の除雪車転回場でチャリを止めて、空になったドリンクボトルに真水とドリンクパウダーを補給するだけでさっさと出発する。どうせこの先は漕がずに済むのだ。

 さぁ、いよいよトンネルを越えるのである。地図によると小樽側より札幌側の方が坂が緩やかで、定山渓までほぼ下りのはずだ。若干の不安のままトンネルに吸い込まれてゆく。

 トンネルを過ぎると天気がよくなり結構暑い。なだらかでスピードがでないから余計だ。さらに、あちこち工事中で片側交互通行になっていて、走りにくいったらありゃしない。ずっと歩道を走るはめになり、スピードはこれっぽっちも出せないのだ。





 途中、札幌国際スキー場、さっぽろ湖、定山渓ダムなど横目に通るのだが疲れでゆっくり見るヨユーなどなく、惰性で定山渓温泉街に転がり込んだ。



 足湯は国道230号との交差点の角だ。惰性のまま飛び込みたいところだがそうは行かぬ。まずは腹ごしらえだ。そばのコンビニでおにぎりと水を買い、足湯に戻る。
 ここの足湯は屋根があるだけの施設で誰でも無料で使える。国道のそばなので多少うるさいものの、温泉街の入り口にあり「温泉にキタゾー」って感じがするのである。

 おにぎりを腹に納め、落ち着いたところで足湯にはいる。「はぁ"ー」、疲れはいっぺんに吹き飛ぶ...わけないが、もう少し走れそうな感じがしてきた。それにあとはほとんど平地だ 。
 30分ほど休んでチャリにまたがり、「次は車で日帰り入浴ランチ付2500円」とつぶやきながら、出発する。あと2時間半もすれば日没だが、明るいうちにたどり着けるのだろうか。
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このお盆休みはチョー奇跡的9連休が当たり、ダラダラ使うのはあまりにももったいないので、いくつかのミッションをボク自身に課すのである。まるで小学生の夏休みだが、それぐらいしないとボケ老人となってしまい、休み明けの社会復帰もままならぬ。
 もちろん、でんき式であればボケ老人上等、ダラダラやってもよいし、雑用に明け暮れてもよいのだ。時間がもったいないといっぱい詰め込んだってどうせできっこないのだ。
 さて、そのミッションのひとつがチャリである。ホントは旭川墓参チャリ旅でコンプリートのつもりでいた。なにせ、このお盆休みは天気が悪く、晴れたうちの1日は草刈り、もう半日が旭川墓参の旅だった。ようやく晴れの予報が出たのが土曜日だ。土日の休みが終わったら仕事再開であり、ここで体力を使ってしまうのはチョット気がかりだが、「夏の思い出」、愛車ロードマンでサイクリングに出るのである。

 目標は、長年実現していない(放置していた)「朝里峠越え定山渓足湯ツアー」だ。ようやく朝里峠の頂上まで上れるようになったけど、いつもはそこから折り返して帰っていた。そのまま帰ればあと35キロ、その先の定山渓まで下りるとなると、あと65キロは走らないとうちに帰れない。つまり、ぐるり回って100キロのコースなのである。

 正直なところ100キロ走るのは特別モードであり、フツーに走れる気がしない。練習は嫌いでも準備は必要なのだ。毎日チャリ通往復30分走っているが、そんなの練習になんかならぬ。

 それでもダメもとで走り出す。せっかくの夏休みの思い出「プチ冒険」だ。なーに、ヘタれたら帰ってもいいし、定山渓で一泊という手もある。明日は1日ヘタれた体を癒しても良いのだ。


 朝里峠手前の朝里ダム辺りまではもう何度も走っているので、走りのペースはなんとなくわかる。しかし朝里峠にはいるともうだめだ。あまりにキツくて、走っているのかフラフラしているだけなのかよくわからない。






 限界がたぶん8.6Km/hぐらいで、ここまでならなんとか脚は回る。しかし、これよりスピードが落ちる(つまり坂がきつくなる)と強く踏み込まなければ前に進まず、ひざとふくらはぎが痛む。もしスピードをあげようと立ち上がったりしようものなら、その場で心臓は爆発するに違いないのだ。坂はさらにきつくなり、今や歩く速度と変わらない。


その2につづく

 しかし、旭川駅の近辺まで来るとすっかり開け、ホテルが立ち並ぶ。昔の旭川駅近辺とはまるで違うのだ。ただ、人は歩いているのだが、どちらかというと観光客が多く見える。

 2時34分、ようやく旭川駅にゴール。往復3時間半のチャリ&墓参の一人旅は悪くないものである。
 帰りの高速バスは時間を決めていない。予約不要なだけに気軽だが、お盆時期は目的の便が満車で乗れない可能性はある。カミさんは勤務後に大通公園ビヤガーデンに行きたいと言っていたので、待ち合わせるとすれば7時ごろだ。とすると遅くとも4時ごろの便に乗れば間に合いそうだ。なーに、遅れたところでどうせ先にやっているのだ。そうなると、バスの時間まではまだ1時間以上あるので、遅い昼飯を食いに出るのである。
 今回行く場所はラーメンと決めている。ホントはいまさら旭川で特に食べたいものはなく、カミさんや子供を連れてくるときも食わせたいと思うものがなくて困るぐらいで、丸井や西武デパートの最上階がなんでもあってちょうどよいのである。(残念ながら、今や両方ともないのでイオンになってしまうのだった。)
 しかし、今回は久しぶりにラーメン、しかも子供の時から馴染みのラーメン屋に寄るのである。たぶん前回寄ったのはもう20年以上も前で、やっぱり墓参りの帰りにカミさんと子供を連れて寄ったのだ。こっちは食べ慣れた味だがカミさんには不評だったことを覚えている。以来、寄ったことがなかった。
 旭川駅を背に緑橋通りを歩く。目的の場所は2条だから10分もかからない。途中、有名ラーメン店があって外まで人が並んでいた。ここは札幌でも食べられるし、そもそも一人で並んで待つほどラーメンに執着はないのだ。さて、これから行くほうはどうだろうか。
 目的のラーメンは昔から魚介の香りが強く、好き嫌いが分かれるところだ。実際、カミさんとも好みが分かれる。ボクにとっては、子供の時からの景色・におい・思い出が強いラーメンだけに忘れられない食べ物であるのだ。
 店の前に着くと「仕込中」の看板が出ていた。再開は3時からだ。あと10分ほどだが待つのもちょっと煩わしい。ふと見ると、店の隣に待合室なるものがあってすでにたくさんの人が待っていた。「あぁ、すっかり有名店になってたのね」とボヤきながら店の前をあとにした。いくら食べたくても待つのは御免である。こうなると、旭川駅まで戻り、駅の中の食堂が良い。なにせ、帰りのバス停もすぐそばで、気兼ねない、混んでない、高くない、の3拍子だ。でも、すでに頭の中はラーメンモードなのでここは迷わずしょうゆラーメンをオーダーした。(正確には食券を買った、だ)
 出てくるラーメンは、ボクの中の標準ラーメンで、毎日食べたいぐらいのものである。毎日食べたいラーメンなどそう見つからないのだ。(幸運にも札幌で毎日食べられるラーメンを見つけて、実際しばらく毎日食べた。)

 今食べたラーメンで今日1日の旅になんとなく満足し、予定より早い3時20分の高速バスに乗りこんだ。帰り道、車窓に子供の頃遊んだスキー場が変わらず見えたが、知らない多くの建物と思い出のラーメンに振られた若干のショックで、旭川にはいよいよ自分の居場所がなくなるような気がしたのである。
おしまい。
 東旭川あたりまで来るとグレーだった空はいよいよ真っ黒になり、「ポチポチ」落ちてくる量が増えてきた。しかも向かい風が強い。「こりゃホントヤバイ」と思うが、チャリは簡単には前に進まないのである。30分ほどで目的地の近くまで来たが、もう寄らずに帰ることに決めた。ずぶ濡れでは帰りのバスに乗れぬ。それに、前回行ったのははるか昔いつのことかわからないぐらい前という「縁はあっても義務はない」状態のお墓であり、お墓にいる人にも忘れられている存在なのだ。もはや行かずとも恨まれることはないのである。
 そんなことを考えていたらいきなりの大雨だ。かろうじて乾いていた街路樹の下に退避したが、木の葉っぱから雨が落ちてくるのは時間の問題だ。目の前にオレンジ色の自動車用品ショップがあったが、チャリで乗り付けるのはさすがに気が引ける。このまま雨宿りするか、濡れてもいいから移動するか、おおいに迷うのである。

 とりあえず、かばんに入っていた飲み物を出そうとしたら、折り畳み傘を入れておいたことを思い出した。今朝の天気予報を見たとき、かばんに入れておいたのだ。傘をさしてチャリに乗る訳にはゆかないので、左手に傘、右手にチャリのハンドルを掴んで歩き出す。旭川駅まで約5キロ、多少雨に濡れるのも仕方がない。豊岡4条を右折して市街地方向に向かう。このまま行けば4条通りの25丁目に出るのだ。
 4条通りに入るとようやく雨は小降りになり、さらに20丁目あたりまで来るとポチポチ程度までに治まった。しかし、また何時降ってくるともわからないので、チャリに跨って旭川駅に急ぐ。雨で湿ったジーンズは足に張り付いて走りにくいが、濡れたシャツに風が通ってもそれほど寒くない。気温自体は低くないのだ。

 ここで、宮下通まで一気に横断し、宮下通を旭川駅に向かう。
 高校生のころの通学では宮下通7(旭川駅あたり)~21丁目を走ることはまずなかった。忠別川沿いのサイクリングロードか1条通り(または宮下通の6~1丁目)と決まっていたのだ。覚えているとしたら20歳のころ。17丁目のJR高架のアンダーパスに荷台の重機をひっかけて落としたトラックを目撃したことだ。「ドーン」という尋常ではない音の方向を見たら、道路の真ん中にブルドーザーが落ちていた。そのころの傷が残っていないか確認してみたが35年も前の傷など残っているわけもない。
 このあたりは隣の1条通りと比べて交通量も少なかったし、倉庫群とかそういう静かなイメージ(そして、なぜか錆びた感じのイメージもあった)の場所であったが、やっぱりいまだに同じである。
 その4に続く
 それにしても、街並みはすっかり変わってしまった。年にほぼ1回のペースでしか来ないから、特にそう思うのだだろうが、旭川に住んでいたころの街並みの面影が年々なくなってゆく。
 9条通りを右折し、道なりに進む。車道はスベスベだが歩道はガタガタで甚だ走りにくい。車道の車が通りすぎたらすぐ車道に出、車が来れば歩道に戻る。休日のせいか交通量は多く、このチャリでは車道の流れに乗れないのだ。(クロスバイクのほうを借りていても同じことを言うはずだが、自前のロードマンでも同じことを言うにきまっている。)

 豊岡まで来たので、供物の買い物にスーパーマーケットに立ち寄る。この先、調達できそうなスーパーマーケットはあと1か所だが、買いたいものが買えるかどうか何とも言えぬ。ここで買い物するのがベターなのだ。だが、こんな田舎だったところにスーパーマーケット、しかも旭川ローカルではなく帯広本社で親会社がセブンアンドアイとは、ここが発展しているのか寂れているのかよくわからないのである。
 ここまでだいたい45分ぐらいだから、道程の半分ぐらいは来たはずだ。直線の平坦一本道で漕ぐのに苦はないが、日が照っていてけっこう暑い。

 さらに道なりにしばらく行くと東旭川だ。この辺りまでくると、街並みが昔から変わらず、ちょっとホッとする。高校生のとき、このあたりからチャリで通ってくるヤツがいたが、毎日この距離を漕いでも平気だったのは彼がボクと同じロードマン(彼のは緑色)に乗っていたからに違いないのである。

 東旭川を過ぎると、田園&工業団地地帯なのだが、このあたりからは旭山がよく見え、いよいよ旭山動物園のワクワク感が高まる。こんな田舎路のくせに(あえて「くせに」と言おう)ラーメン、カフェ、コンビニなどが立ち(立ち並び、というほどではない。念のため)、駐車場は車でいっぱいなのである。しかし、旭山動物園前の交差点付近の界隈は閑散としている。動物園の看板はあるが、街の盛り上がりは欠片もない。直進すれば動物園正門の駐車場だ。こっちはここから左折し、完全なる田舎径にはいるが、途中、動物園東門の入口があり、道央自動車道からのアクセスが可能なせいか、交通量は多い。ここに到達したのが12時ごろだったが、帰りの車で大渋滞だ。
 渋滞をすり抜け、12時10分ごろ目的地に到着した。買い物休憩入れて70分といったところである。
 ここの墓所は子供の頃とそれほど変わり映えしない。新しいお墓が建っているのと新しいトイレができたぐらいだ。
 お墓の草むしりと掃除に1時間ほど費やしたが(なにせ、草の量は毎年ハンパないのだ)、お参りは、お坊さんなし、お経なし、お花・お菓子・ロウソク・線香を供えただけの簡単バージョンで済ますのである。供物のお菓子を頬張りロウソクの燃える音と虫の声を聴きながらボーっと周りを眺めると、見える山々も昔のままだ。ときたま、旭川空港離発着の飛行機の轟音が響くが、あっというまに静寂が戻る。

 いよいよロウソクも1/3になったところで強制消火し片付けて出発する。もう1か所、縁のあるお墓に寄るつもりなのだ。来た道を途中まで戻り、豊岡からすこしだけコースを変れば目的地だ。あとは4条通り→1条通り→宮下通り→旭川駅と帰ればよい。
 出発するとすぐにポチポチ冷たいものが落ちてくる。天気予報では午後から雨だったのを思い出した。「また雨かよ」とボヤくのである。

写真:帰り途中の田園風景
 

その3につづく

プロフィール
HN:
みつぼし でんき(DENKEY)
性別:
男性
自己紹介:
基本的に無趣味でインドア派なのに、ある日突然変異的チョー例外として釣り人となり、サイクリングファンとなる。だが実は趣味未満。よって、乗っているチャリは高校時代から使っているブリヂストン ロードマン。

そして「のだめカンタービレ」(ドラマ)狂。

野球はもちろん地元北海道日本ハムファイターズ

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